第64回ヴェルニー・小栗祭式典開催

文:礒部良、河辺雄二、FLEACT横須賀広報課
写真:河辺雄二、FLEACT横須賀広報課

2015年11月15日、横須賀市は第64回ヴェルニー・小栗祭式典を横須賀ヴェルニー公園で開催した。今年は米海軍艦船修理廠および日本地区造修統括本部(SRF-JRMC)の最初期の前身である横須賀製鉄所創設150周年にも当たる。この施設は江戸・明治の移行期の1865年に建造された、蒸気機関を動力とする日本最初の近代工場である。

式典では、横須賀製鉄所に協力・貢献した武士、小栗上野介(忠順)ならびにフランス人技師フランソワ・レオンス・ヴェルニーに敬意を表した。製鉄所はのちに横須賀造船所と名を変え、1903年には日本帝国海軍の横須賀海軍工廠となった。以上の点からも横須賀製鉄所は、2014年に世界遺産に登録された1872年建設の富岡製糸場の父とも言える存在だ。

式典には皇族から高円宮妃久子さまがお出ましになった。他の来賓には在日フランス大使ティエリー・ダナ氏、外務大臣政務官山田美樹氏、横須賀市の姉妹都市フランス・ブレスト市のフランソワ・キュイヤンドルブレスト市長、吉田雄人横須賀市長などをはじめ、米国海軍からは第七艦隊司令官ジョセフ・P・アーコイン中将、在日米海軍司令官マシュー・J・カーター少将、横須賀基地司令官デービッド・T・グレニスタ大佐、艦船修理廠および日本地区造修統括本部(SRF-JRMC)司令官ギャレット・ファーマン大佐、横須賀海軍病院(USNH)司令官グレン・クロフォード大佐らが列席。地方自治体の議会議員や海上自衛隊幹部らも式典に臨んだ。

この工業施設では、給料制や時間労働、週末の休日や労働者の健康管理などを導入し、日本の近代化の礎を築いた。約1,000名もの従業員を抱えたこの工場群は当時の他の工場とは一線を画していた。工場制手工業を中心とした日本の工場では、10名前後の従業員が働くものがほとんどで、近代化とはほど遠いものだった。

もともとの名称である横須賀製鉄所には「製鉄」という言葉が入っているが、本来この語は現代の我々がイメージするものとは異なり、鉄の加工全般を示すものだった。つまり、この工場で鉄鉱石を精錬していたわけではなく、実際、横須賀製鉄所は、さまざまな工場が集まった総合工場であり、銑鉄を加工してパイプや缶、ボイラーやシャフト、砲台や大砲などの鉄製品を製作していた。

小栗上野介忠順公は徳川幕府の旗本で、勘定奉行として日本の近代化を先導した。日本の領土内での造船所建設の提言を行ったが、それはすでに日本が所有していた外国製の艦船を修理する必要があったためだ。大規模な艦船修理廠のなかった当時の日本では、最新鋭の技術を駆使した艦船に大きな損傷などが起こった場合、修理のために中国の上海や当時のオランダ領東インド(現インドネシア)の首都バタビアまで艦船を移動させなければならなかった。

1865年、フランス人技師フランソワ・レオンス・ヴェルニーは、横須賀製鉄所の建設を委託された。ヴェルニーはパリの科学・技術の名門大学エコール・ポリテクニック(理工科大学)で学んだあと、海軍造船学校に進み、造船工学、造船技術を習得した。江戸幕府がフランス公使レオン・ロッシュに本格的な造船所建設のための協力を要請すると、当時アジアへの進出において若干後手に回っていたフランス政府は、その要請を快諾。中国の上海での造船の任務を終えていたヴェルニーに白羽の矢が立った。

1853年から米国のマシュー・ペリー提督がたびたび日本を訪れたことに端を発し、日本はアメリカ船舶のために港を開港。米国と江戸幕府との最初の条約、日米和親条約(神奈川条約)が1854年に締結された。第二次アヘン戦争などに顕著であった英国の帝国主義的進出などのアジア情勢を鑑み、江戸幕府は米国との関係をより強固なものとすることを受け入れ、日米修好通商条約を1858年に調印。その批准のために1860年にサンフランシスコへと使節団が派遣された。米国のポウハタン号に乗り込んだこの使節団の監察を担うお目付役が小栗上野介だった。使節団はホワイトハウスを訪れ、ジェームズ・ブキャナン米国大統領と謁見し批准書を交換。この米国滞在の際、小栗はワシントンの海軍造船所を訪れ、ここでの印象が日本での蒸気を動力とする一大銑鉄加工工場の建設創案へとつながった。

高円宮妃久子さまがご出席。吉田雄人横須賀市長や米海軍の士官らと、2015年11月15日、横須賀のヴェルニー公園で催されたヴェルニー・小栗祭において、小栗上野介とフランソワ・レオンス・ヴェルニー両者の功績を祝福した。(写真:河辺雄二、FLEACT横須賀広報課)

高円宮妃久子さまがご出席。吉田雄人横須賀市長や米海軍の士官らと、2015年11月15日、横須賀のヴェルニー公園で催されたヴェルニー・小栗祭において、小栗上野介とフランソワ・レオンス・ヴェルニー両者の功績を祝福した。(写真:河辺雄二、FLEACT横須賀広報課)

小栗が新興国日本に至る先駆者であったという事実は日本人にもそれほど知られていない。知名度という点では、日本の歴史教科書では勝海舟やジョン万次郎といった歴史的人物にスペースが割かれていることが多い。しかし、彼らは条約批准使節団の護衛として随行した咸臨丸に乗船していたに過ぎない。咸臨丸は日本海軍がオランダから購入した、最初のスクリュー式蒸気船だった。

時代の過渡期の混乱の中、幕府を罷免された小栗は現在の群馬県に隠遁しようとした。将軍徳川慶喜が政権を返還し恭順の意を示したのに従った小栗は、人知れずこの土地で余生を平穏無事に過ごせたかもしれない。しかし、不運なことに、小栗は西軍の軍隊に反逆罪のかどで捕えられ処断された。それ以来、日本史では小栗には汚名が着せられ、彼の日本近代化への先取の気質や貢献はほとんど忘れ去られているといってもよい。

ちょうどこの日、11月15日(旧暦で9月27日)は製鉄所の建設が始められた日に当たる。この工場でかつて使われた2つのスチームハンマーは横須賀ヴェルニー公園のヴェルニー記念館に展示されている。

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