名所物見の旅 其の七拾参: 幻の秘湯になってしまった南アルプス東河内温泉

文・写真:河辺雄二、FLEACT横須賀広報課

日本の温泉について

日本には一体どのくらい温泉があるのか。

日本温泉総合研究所の調査によると、2013年度のデータには温泉地3,159ヶ所となっている。戦後、高度成長期のレジャーブームに乗って数多くの源泉の利用開発がなされ、1990年代あたりからは地中掘削による温泉開発が盛んになったといわれる。これは不要になった深度2,000メートルクラスの外国製石油掘削機が、安く出廻るようになったおかげだという。近年の油井ではより深く掘削できる機械が主流となっているのだそうだ。

火山列島の日本では500~1,000メートルぐらい掘削すれば、25度C以上の温泉はたやすく掘り当てることが出来るようで、時代遅れの中古品掘削機でも充分役に立つといえる。現在では自然に湧出している源泉を新たに発見することなどまずないだろうから、今後登場する新温泉のほとんどがボーリングによって掘り当てられた温泉ということになる。

1,000湯越えでやっと温泉マニアの称号?

南アルプス南部の仁田池小屋。美坂哲男氏は昭和39年(1964)、この小屋で巡回管理人から東河内温泉を聞きだしたという。わたしが仁田池小屋に泊まったのは昭和49年(1974)のことで、荒廃して隙間だらけの無人小屋となっており、一人心細い夜を過ごしたのだった。

南アルプス南部の仁田池小屋。美坂哲男氏は昭和39年(1964)、この小屋で巡回管理人から東河内温泉を聞きだしたという。わたしが仁田池小屋に泊まったのは昭和49年(1974)のことで、荒廃して隙間だらけの無人小屋となっており、一人心細い夜を過ごしたのだった。

3,000湯を越える温泉行脚で日本一の温泉マニアとして知られた美坂哲男氏(愛称クマさん)によると、温泉入湯数を数え始めたのは昭和34年(1959)のことで当時67ヶ所。雑誌「温泉」編集長の安斎秀夫氏は「地図上に見出される♨記号をしらみつぶしに訪れるマニアもあると聞くが、1,300余といわれる全国温泉地を渉猟することは一生を費やしても不可能であろうか」と述べていたという。

美坂氏は情熱を注いだ甲斐あって、昭和47年(1972)に秋田県三ッ又温泉で1,000ヶ所入湯を達成する。その頃日本の温泉は1,500ヶ所といわれ、美坂氏は「全国に散らばった取り残しの温泉を総舐めするのは、サラリーマンでは至難であろうと思われた」と回想している。その後も地道な努力を続けた結果、昭和60年(1985)には大雪山トムラウシ温泉で2,000湯、平成10年(1998)三島村薩摩硫黄島の東温泉で前人未踏の3,000湯を達成したのであった。

美坂氏が温泉行脚を始めた昭和30~40年代は相当の苦労があったようだが、最近では交通機関の発達や道路網の整備により移動時間が大幅に短縮され、温泉マニアの間では1,000ヶ所以上入湯してやっと一人前、2,000湯を超えている人もかなりいるようだ。

そうしたマニアと比べてみると、わたしの温泉探訪などいまだ300湯にも届いておらず、温泉好きは自認しても、温泉マニアの足元にも及ばない。入湯温泉数が増えない理由のひとつに、気に入った温泉に何回も通ってしまうことが挙げられ、たとえば日本最高所の温泉である“みくりが池温泉”にはもう60泊以上もしていて、ここは剱岳や立山の登山や山スキーのベースにする常宿である。旅好きのわたしは温泉に入る機会も多いほうだと思うが、温泉数稼ぎを旅の第一目的としていないので入湯数はなかなか増えず、とても温泉マニアなどと名乗ることは出来そうもない。

わたしの心に残る温泉

人影まばらな40年前の晩秋の知床で、沢に湯が流れ滝壷自体が温泉になっていて驚いたカムイワッカの湯滝。

昭和47年(1972)の南アルプス茶臼小屋のテント場の風景。当時の重く貧弱なテントやキスリングザックなどの装備をみると、現在とは隔世の感がある。テント場の下に古い茶臼小屋が見える。

昭和47年(1972)の南アルプス茶臼小屋のテント場の風景。当時の重く貧弱なテントやキスリングザックなどの装備をみると、現在とは隔世の感がある。テント場の下に古い茶臼小屋が見える。

山スキーで白馬岳から滑り降り、深い雪の中に掘り出された露天風呂に飛び込んで冷え切った身体を温めた北アルプス蓮華温泉。

北アルプスでも最奥に位置する雲ノ平、鷲羽岳、水晶岳を周遊して、一週間掛りの末に辿り着いた念願の高天原温泉。

表玄関に立つと昭和初期にタイムスリップしたような気分になった安達太良山麓の不動湯温泉(残念ながら2013年焼失)。

屋久島では野趣溢れる海辺の露天風呂に浸り、「はるばると随分遠くまで来たなぁ」とひとり感慨に耽った平内海中温泉と湯泊温泉。

そうした記憶の中で、是非もう一度訪れてみたいのが壱岐島の湯ノ本温泉で、博多からの船旅で到着後、木漏れ日射す露天風呂と小島が浮かぶ海の情景が素晴らしかったことが鮮明に思い出される。

わたしにとって温泉は旅の疲れを癒してくれるだけでなく、旅情を慰め旅の思い出をよりいっそう豊かに彩ってくれる貴重な宝なのである。

どうしても入りたかった温泉

わたしが温泉を意識したきっかけは、山岳部の部室にあった「山と渓谷」誌に掲載されていた美坂哲男氏による“クマさんの山のいで湯行脚”というコラムだった。そこには昭和39年(1964)南アルプス南部縦走の折、仁田池小屋で巡回の管理人に教えてもらったという東河内温泉が紹介されていた。東河内温泉が何年何月号に載っていたのかは覚えていないが、この連載は昭和46年1月号から昭和49年の12月号まで4年にわたり続いており、昭和47年夏以前だったことだけは確かである。というのもこの記事を読んで東河内温泉にどうしても行きたくなり、昭和47年(1972)7月の南アルプス南部縦走の際、下山口の畑薙ダムのバス停で、東河内温泉に立ち寄れる可能性を探ったのである。

東河内温泉まるか山荘。初めて訪れたのは昭和54年(1979)正月のことで、人里はなれた林道の脇にぽつんと建つ民家のような外観に、最初は伐採作業員の飯場かと思ってしまった。(この写真は再訪した平成4年夏に撮影)

東河内温泉まるか山荘。初めて訪れたのは昭和54年(1979)正月のことで、人里はなれた林道の脇にぽつんと建つ民家のような外観に、最初は伐採作業員の飯場かと思ってしまった。(この写真は再訪した平成4年夏に撮影)

バスが畑薙ダムから下流に下っていくと、道路わきに赤石観光(株)の赤石温泉ロッジと村営白樺荘がある。この二軒の施設に源泉を供給する東河内温泉は、この先から延々東河内沢に沿って山道を何キロも遡らなくてはならない。結局このときは、メンバーと別れてひとり温泉に向かうような勝手な行動は自重した。十七歳だった当時のわたしには、ひとり別行動をとって温泉を巡るほどの熱意はまだなかったのである。心残りはあったものの、いずれまたチャンスは来るだろうと思っていた。その後も毎年南アルプス南部に登ってはいたが、当時マイカーを持っていなかったわたしは、もっぱら公共交通機関を利用するだけだったので、一日数本のバスの時間を気にしながら東河内温泉に寄り道をする時間的余裕はなく、念願の温泉を訪ねる機会はなかなか到来しなかった。

東河内温泉に興味を持って7年の歳月が過ぎた昭和54年(1979)、厳冬の悪沢岳に登頂した帰路、正月休みにまだ余裕があったので、意を決して東河内温泉を目指すことにした。畑薙第一ダムから車道を第二ダムへと下り赤石温泉ロッジと白樺荘を過ぎてしばらく行くと、道は分岐して東河内沢方面へ未舗装の林道が延びている。

クマさんの手記によると、南アルプス特有の鬱蒼たる樹林に沿って吊橋と桟道が連続する山道を歩いていったというが、いまは殺風景な林道が続き、なにやら興ざめする。冬山装備のぎっしり詰まった重いザックを背負って二時間近くも歩いた頃、道路わきに小さな民家が現われ、東河内温泉まるか山荘との立て札がある。家は鍵が締まっていて人の気配がない。とりあえず周りを探ると、塀の向こうに小さな露天風呂が見え湯が溢れている。クマさんの記事には、十畳敷きの広さの露天風呂と小さな湯小屋、そして無人の静養小屋があると書いてあったが、それらしきは見当たらない。狐につままれたような気分であったが、林道工事で移転した可能性もある。村の静養小屋は開放のはずだが、鍵が締まっていて泊まることは出来そうもない。しかし露天風呂は塀を越えれば入れそうだ。ここまで来た以上、引き返すわけにも行かず、ともかくも風呂に入って小銭を置いていくつもりで塀を乗り越えた。湯は40度前後のやや微温めで、ヌルヌルするのは典型的な美人湯だ。とてもよい湯でいつまでも入っていたいが、ここに泊まれないとすると今日中に井川まで歩かなければならないから、のんびりもしていられない。それにしても周辺にはまったく人の気配がなく、正月だからなのか、それとも冬期は閉鎖されているのだろうか。長年の宿題をやっと済ませたわけだが、今夜の宿のことが気がかりで、早々に東河内温泉を後にした。

廃れてしまっていた東河内温泉

一年後、美坂哲男氏の「山のいで湯行脚」なる本が出版され、その本には昭和49年(1974)に東河内温泉に十年ぶりに再訪したことが書かれていた。温泉への沢沿いの山道は林道に変わり、元の温泉の下流に西駿木材会社の社員寮まるか山荘が建てられて、管理人を置いて社員以外の一般者にも温泉を開放したのだという。クマさんは昭和39年に訪れた上流の湯小屋や村の静養小屋へも立ち寄るが、露天風呂には泥がたまり、小屋は天井が落ち廃屋となっていたことが書かれている。昭和49年にこの状況であったなら、わたしがはじめて南アルプス南部に足を踏み入れた昭和47年時点ですでに廃棄されていた可能性もある。

東河内温泉露天風呂。泉温は40度前後とやや微温め。ぬめりのあるいわゆる美人湯で、肌によいとの評判であった。

東河内温泉露天風呂。泉温は40度前後とやや微温め。ぬめりのあるいわゆる美人湯で、肌によいとの評判であった。

クマさんの本には、温泉の周辺は伐採されて幽邃境といった感じはなくなったと書かれているが、確かに南アルプスは昭和30年代から昭和が終わる頃まで、大規模な森林伐採によって大きく変貌を遂げていた時期でもあった。その後の林業の衰退で、最近の南アルプス南部は昔日の鬱蒼とした樹林を取り戻しつつあるようだ。

このたびエッセイを書くにあたり東河内温泉のことを改めて調べてみると、まるか山荘は30年近く前から一般の利用は出来なくなっていて、社員寮としてもすで長い間使われていないようだ。しかし沢の上流を遡ると源泉が自噴しているところがあり、温泉マニアがときどき訪れているという。またこの源泉を引湯していた赤石温泉ロッジもとっくの昔になくなっていたが、白樺荘は場所を変えて新築され、現代風の洒落た温泉施設へと変貌していた。

クマさんが最初に紹介した東河内温泉はおろか、わたしが36年前に不法侵入まがいに入った東河内温泉も、いまでは幻の秘湯となってしまった。いずれ忘れ去られてしまうであろう。温泉探訪に興味を持つきっかけを与えてくれた場所だけに、なんとも寂しい限りである。

Advertisements

Leave reply:

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out / Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out / Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out / Change )

Google+ photo

You are commenting using your Google+ account. Log Out / Change )

Connecting to %s