第63回ヴェルニー・小栗祭挙行される

文・写真:河辺雄二、FLEACT横須賀広報課

秋も深まりを見せはじめた去る11月5日、快晴の横須賀ベルニー公園に於いて恒例のヴェルニー・小栗祭が挙行された。

今年で63回を数える式典には主催の横須賀市・吉田雄人市長はじめ、フランス大使代理のフランス太平洋艦隊司令官ベルナール・モリオドリール少将、横須賀の姉妹都市で海軍工廠のあるブレスト市からフランソワ・キュイヤンドル氏が出席。横須賀米軍基地からは第七艦隊司令官ロバート・トーマス中将夫妻、在日米海軍司令官テリー・クラフト少将、横須賀基地司令官デービッド・グレニスタ大佐夫妻、海軍病院司令官グレン・クロフォード大佐らが列席。各議会議員や海上自衛隊幹部、小栗上野介顕彰会の方々、小栗家一族縁故者、世界遺産富岡製糸場のある富岡市からは岩井賢太郎市長、横須賀市関係者および市民ら二百名以上が参加した。

式典はヴェルニー・小栗両胸像の前で午前十一時から海上自衛隊横須賀音楽隊の日仏国家吹奏で始まり、吉田市長とモリオドリール少将による花輪供呈、市長の式辞、フランス大使の祝辞、外務大臣祝辞、ブレスト市長の祝辞と続いた。海上自衛隊音楽隊による「小栗のまなざし」が演奏され、富岡市長岩井氏と横須賀開国史研究会会長山本詔一氏の講演で式典は終了。大勢の参列者はヴェルニー・小栗に対し、その偉業を偲んだ。

ヴェルニーと小栗と横須賀

現在、ヴェルニー公園に設置されているヴェルニー・小栗の胸像は二代目にあたり、初代は大正11年に市内諏訪公園に設置されて除幕式が行われた。当時のフランス大使クローデルや小栗上野介の孫・小栗又一、三枝守富(元総理大臣大隈重信の夫人綾子の実兄)らが参列している。その後この胸象は第二次世界大戦中の金属不足の折に供出されてしまったが、戦後の昭和27年に二代目の胸像が完成して臨海公園(現ヴェルニー公園)に設置されたのである。胸像は何度かその設置場所を変えられたが、現在はゆかりの一号ドックと対面するように設置されており、二人の胸像はその後の横須賀の発展を見守っている。

小栗上野介忠順の業績を知ることが出来る書籍の数々。小栗は遣米使節としてブキャナン大統領に謁見。世界最先端の近代施設を見聞したことにより、時代錯誤な攘夷の嵐吹き荒れる幕末において、果敢に日本近代化を推進させた。

小栗上野介忠順の業績を知ることが出来る書籍の数々。小栗は遣米使節としてブキャナン大統領に謁見。世界最先端の近代施設を見聞したことにより、時代錯誤な攘夷の嵐吹き荒れる幕末において、果敢に日本近代化を推進させた。

来年は横須賀製鉄所起工の鍬入れ式が行われてから150年にあたる。横須賀の歴史を深く理解するためには、わずか二百戸の貧しい漁村であった横須賀村に、日本近代化の礎を築いてその発展に大きく貢献した、小栗上野介とヴェルニーの業績を知ることが重要且つ意義のあることであろう。

文政十年(1827年)江戸神田に生まれた旗本・小栗上野介忠順(ただまさ)は、安政7年(1860年/途中で改元され万延元年)日米修好通商条約批准書交換の為、遣米使節として渡米しブキャナン大統領に謁見、世界一周を果たして帰国する。世界の先進国を見聞した経験から日本の近代化が不可欠と痛感し、幕府の外国奉行や勘定奉行を歴任して近代化事業に邁進した。

幕府の財政逼迫と攘夷の嵐吹き荒れる政情不安の状況下において、無駄遣いを戒め、横須賀製鉄所(造船所を含む総合近代工場群)などの建設に奔走した。時代遅れで頑迷な幕府内外の抵抗に遭いながらも、小栗は次々と果敢に近代化計画を実行していく。財政難のなか事業を推進する小栗を心配した製鉄所御用掛の栗本瀬衛兵(鋤雲)に、「いずれにせよ予算が無駄に使われてしまうのなら、のちの世に役に立つものを残した方がよい。例え幕府が倒れても日本の財産になるではないか」と語り、反対者たちの激しい非難にも動じなかった。

小栗の日本近代化計画は大砲や火薬製造所、反射炉、陸軍教育所、銀行、商社(日本初の株式会社)、外国語専門学校、新聞、郵便、電信、ガス灯、鉄道、国際ホテル、森林保護など枚挙にいとまなく、いくつかの事業はすでに動き出していた。しかし幕府終焉によりその志むなしく、小栗は知行地権田村(現群馬県倉渕)に隠退したが、戊辰戦争の西軍東山道軍に無実の罪を着せられ、処刑されてしまう。これは日本にとって大きな損出であったことは間違いない。

明治維新以来の薩長のイデオロギーから、小栗が歴史のなかで脚光を浴びることはほとんどなかったが、日露戦争の日本海海戦でロシア無敵のバルチック艦隊を破った連合艦隊司令長官・東郷平八郎は「この勝利は小栗上野介が横須賀造船所を造ってくれたお蔭」と小栗の子孫を招待して感謝の意を表し、内閣総理大臣大隈重信は「横須賀工廠は小栗の尽力」と語り、「明治の近代化はほとんど小栗上野介の構想の模倣に過ぎない」と称えている。作家司馬遼太郎は「明治の父」と呼び、最近では「幕末最高の頭脳」と評価されるようにまでなってきた。

一方、フランソワ・レオンス・ヴェルニー(1834~1908)はフランス海軍の技術者として中国寧波において清国海軍の砲艦建造に従事していたところ、幕府の要請を受けたフランス公使ロッシュの推薦により来日。若き優秀な技術者ヴェルニーは首長として慶応元年11月15日(西暦1865年9月27日)の横須賀製鉄所鍬入れ(起工)から造船施設の工場群や船渠(ドック)建造を指揮し、また観音崎、城ヶ島、野島崎、品川の灯台建設や走水水道を敷設し、日本の近代化に大きな足跡を残した恩人である。彼のスタッフの一人、バスチャンが設計した富岡製糸場が世界遺産に登録されたことは、記憶に新しい。

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