名所物見の旅 其の七拾 わが懐かしのラーメン

文・写真:河辺雄二、FLEACT横須賀広報課

C級グルメ溢れるわが戸塚の街に、近頃ラーメン屋さんがやたら目につくようになった。以前は一般的な中華料理店のほうが多かったように思うが、いまや駅周辺だけでなく街のあちこちにラーメンの専門店が点在している。

テレビでお馴染みだった佐野実氏のラーメン店。戸塚で一番の有名店ではあるが、客席は20席以上もあって普段の日なら行列は出来ない。行列の出来る超有名ラーメン店はたいてい客席10席以下であり、行列をつくって待たせることによって、より以上に価値を高めるといった戦略があるように思う。

テレビでお馴染みだった佐野実氏のラーメン店。戸塚で一番の有名店ではあるが、客席は20席以上もあって普段の日なら行列は出来ない。行列の出来る超有名ラーメン店はたいてい客席10席以下であり、行列をつくって待たせることによって、より以上に価値を高めるといった戦略があるように思う。

わが家から5~6分も歩けばテレビ出演でお馴染みだった佐野実氏が経営する有名店があり、また車を数分走らせれば環状二号のラーメン街道も近い。一日の乗降客29万人を数える最寄り駅には、最大の顧客であるサラリーマンや近くの大学に通う若者たちが溢れており、ラーメン屋を出店する環境はそろっている。

ラーメン店の多くはいわゆる“家系”と呼ばれる背脂ぎらぎらのこってりしたもので、この系統のラーメンはより若者には好まれるようだ。わたしの感想を述べると、こうしたラーメンは最初はよいのだが、食べるうちに濃すぎる味に飽きがきて途中で嫌になってくるし、奇を衒った盛り付けの割には麵とスープがマッチしていない場合が多い。再訪することはないだろうと思わせる店ばかりなのだ。

味が濃いと旨さを誤魔化すことが出来るので、こういったラーメンならたいした味覚センスがなくても作れるのではないかと思ってしまう。最近、味の濃い外食産業やインスタント食品の影響で味蕾が機能低下して、味覚がおかしくなっている若者や子供が増加傾向にあると報道されていたが、こうしたことも関係あるのだろうか。将来、日本人の多くが京料理などの微妙な味わいを、理解できなくなるのではないかと危惧されている。背脂ギトギトラーメンといえば、環七の「土佐っ子」や千駄ヶ谷の「ホープ軒」に源流がありそうだが、この二店にはそれなりの味わいがあったように思う。

なにやら能書きを述べてしまったが、まぁそうは言ってもたかがラーメン、気軽に食べられるのがよい点である。そこで今年亡くなった佐野実氏に追悼の意を表して「支那そばや」に久しぶりで行ってみた。店に入ってまず食券を買うのだが、値段を見るとやたら高い。山水なんとか鶏ワンタンメンが、千円札を入れて20円しかお釣りがこない。ラーメンって最近は高いんだなあ、と思いつつ席へ。供されたラーメンはまあまあ悪くないが、チャーシューときたら半分が脂身である。昔はこんなバラ肉をチャシューにはしなかったはずだ。歳のせいか文句が多くなったが、スープと麵はマッチして相性はよかった。「全体としては及第点と言うところか」などと、ウンチクグルメ風の客が集う店の雰囲気に呑まれ、つい自分もラーメン評論家気分になっていた。外へ出て店の看板を見ると、鮭のダシを使っていると謳う鮭出しラーメンなんていうのもある。鮭をダシに使うというのも珍しい、というより聞いたことがない。興味引かれたので後日再訪し、試してみた。やや小ぶりのどんぶりに、一見ふつうの醤油ラーメンだが、スープを飲むとかすかに鮭の香りがする。なんだか鮭茶漬けを思わせるような香りでもあり、まあ驚くほどのものではなかった。

わたしの学生時代には鮨やてんぷらを食べ歩くなどという贅沢は当然ながら出来なかったかわりに、友人たちとよくラーメンを食べ歩いたものであった。

その頃食べ歩いた懐かしの店を挙げると、

まず荻窪の「春木屋」と「丸福」。初めて行ったのは40年前。店の周囲の長蛇の列に驚いた。当時から一時間以上待つのはは当たり前だったのである。

浅草の「来集軒」は下町の風情溢れる店構えが大いに気に入っていた一軒。

銀座ではやはり古い店構えの「萬福」や玉三郎も好きだったと言う歌舞伎座裏の「味助」。そして銀座では知らぬ人いないと評判の「味の一」。この店は夕方行くと界隈の高級クラブの綺麗なお姐さん達が御出勤前に腹ごしらえをしていて、銀座のクラブなどにはまったく縁のないわれわれは圧倒されたものであった。

日本橋には「たいめいけん」。ここは有名な洋食屋「泰明軒」の初代・茂出木さんが始めた立ち食いラーメンスタンド。

渋谷では「チャーリーハウス」の繊細な味や道玄坂の「喜楽」の焦がし葱をちらしたラーメンが懐かしい。

六本木の「大八」は飲み会の後の仕上げにもってこいの店だった。

典型的な東京下町の醤油ラーメン。シンプルゆえに味に誤魔化しようがなく、うまいまずいはすぐにわかってしまう。美味くなければ、有名店に囲まれていながら客がほとんど寄り付かなかった荻窪の「佐久新」のようになってしまうので、商売とはシビアである。

典型的な東京下町の醤油ラーメン。シンプルゆえに味に誤魔化しようがなく、うまいまずいはすぐにわかってしまう。美味くなければ、有名店に囲まれていながら客がほとんど寄り付かなかった荻窪の「佐久信」のようになってしまうので、商売とはシビアである。

「恵比寿ラーメン」は恵比寿界隈の代表格。化学調味料は使わずに、また客に供する直前にチャーシューを切り分ける丁寧な仕事を評論家の山本益博は絶賛していた。しかし恵比寿界隈のコマーシャルスタジオで働くカメラマンの友人T氏によると「地元では誰も行かん」と言う。どうやらその理由は、並んでまでは近所の人は食べに行かないということらしい。この店も何年か前に閉店したと聞いた。

神田では小川町の「ピカ一」のラーメンは子供でもスープを飲み干せるおいしさがあった。神保町の「さぶちゃん」はいわずと知れた元祖半チャンラーメンの店。ここの行列も有名で、たいてい一時間以上は並んだものである。「さぶちゃん」では20回ぐらいは食べているので、わたしのラーメン店探訪では一番通った店かもしれない。通った理由は古書探しの趣味で神保町にちょくちょく行ったからに他ならないが、やはりこの店の味が好きだったのだろう。

今夏、十数年ぶりに「さぶちゃん」を訪れてみると、親爺さんの衰えが目について仕方がなかった。スープを注ぐときにはどんぶりの外にやたらこぼすし、以前はそのたびごとに作っていたチャーハンも作りおきを中華鍋で暖め直すだけになっていた。昔からの相棒の姿はなく、手伝いの若い人(といっても30代ぐらい)が手早くスープを拭き取ったり、いろいろ世話を焼いていた。

三~四十年前に通った前述の店の大半はもう既になく、現存する店も次世代か次々世代があとを継いでると思うと寂しい気分になるが、ぜひ流行りの風潮に流されずに、昔からの味をより洗練して引き継いでいくことを願うばかりである。

ところでわが街にも、それなりに食わせる店があったのを思い出した。ラーメン専門店ではなく中華の定食屋で、供する昔ながらの醤油ラーメンがスープも麵も一級品だった。ちょっとボケてしまったおじいさんとその娘とおぼしき割烹着に手拭い頭巾のメガネのおばさんがやっていて、訳の分からぬことを口走るおじいさんをおばさんがひっきりなしに怒鳴り散らすといった半端じゃない雰囲気で、さながら「安食堂親子劇場」だった。再開発のあおりで十年近く前に消えてしまったのが残念でならない。

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