世界の写真家⑰ 国際会議場に潜むザロモン博士

文:河辺雄二、FLEACT横須賀広報課

Dr. Erich Salomon (1886-1944)

愛機エルマノックスを手にするエーリッヒ・ザロモン博士。

愛機エルマノックスを手にするエーリッヒ・ザロモン博士。

エーリッヒ・ザロモンはユダヤ系銀行業者の跡継ぎとしてベルリンに生まれた。学生時代は動物学と工学を専攻し、のちに法学も学んで博士号を取得した。順風満帆な人生が約束されているかのような前半生であったが、第一次世界大戦勃発が人生の歯車を狂わすことになる。ドイツ軍の兵士として従軍したザロモンは、マルヌ会戦で捕虜となってしまう。

ドイツ敗戦によって終戦を迎えたザロモンは戦後不況の中、株式仲買人、ピアノ販売業、タクシー会社などを転々とし、1927年、41歳のときにウルシュタイン社の広告マンとして働き始めた。このとき偶然出合った「エルマノックス」というカメラによって、また彼の人生は大きく変わることになる。エルマノックスはエルノスター85mmF1.8 という当時では驚異的な大口径レンズを装着し、煩雑なマグネシウム閃光を使用せずとも、部屋の中でスナップ写真が撮れるという最新のカメラで、機械マニアの彼を虜にするには十分であった。

スイス・イタリア国境の町ルガノにあるホテル・スプレンディドの頂上会議にて(1928年)。顔が見えるのが左からチェンバレン卿、シュトレーゼマン外相。右端後ろ向きがブリアン外相。

スイス・イタリア国境の町ルガノにあるホテル・スプレンディドの頂上会議にて(1928年)。顔が見えるのが左からチェンバレン卿、シュトレーゼマン外相。右端後ろ向きがブリアン外相。

広告部から同社の看板グラフ誌「ベルリン画報」写真部に移ったザロモンは、親交があったワイマール共和国の外務大臣シュトレーゼマンをはじめとする政治家や財界人の人脈を頼りに国際会議や官邸などに入り込み、山高帽などにカメラを隠して政治家や著名人を盗み撮りして世間をあっといわせた。大型カメラにマグネシウムを焚いて撮影するというスタイルが一般的であった当時の常識では、写真を撮られたことにも気がつかない人たちが多く、まったく無防備な表情を撮られた著名人自身驚くばかりであった。

入社翌年の1928年にはウルシュタイン社を退社してフリージャーナリストとなり、「ベルリン画報」のほかにも数誌に写真を提供して活躍した。1931年には代表作「気付かれない瞬間の有名人たち」を出版し、ザロモンの名は内外に知れ渡っていく。しかし1933年にナチスが政権を握ると、ユダヤ系のザロモンはドイツの雑誌から締め出された為、フランスなど他国の雑誌へ写真提供して仕事を続けた。

ヨーロッパ主要国の外相が集まった国際会議にて。暗い室内でマグネシウム閃光なしにこれほど鮮明な写真が撮影されたことに、当時の人々は大いに驚いたのであった。

ヨーロッパ主要国の外相が集まった国際会議にて。暗い室内でマグネシウム閃光なしにこれほど鮮明な写真が撮影されたことに、当時の人々は大いに驚いたのであった。

ザロモンの仕事は常に困難を伴い、撮影を見つかれば締め出されたり、ときによっては身の危険を感じたり脅迫にさらされることもあった。そのとき彼は常に「以前にもけっして妥協しなかったのだぞ!」と自分を励ますのであった。ザロモンは自分を目立たせない術を会得しており、基本的には完璧にその場に合った服装をすることで、燕尾服の正装からラフな普段着まで取り揃えて準備していた。

ザロモンは国際会議には欠かせない存在になり、フランスの外相ブリアンは会議の前に「ザロモン博士はどこにいるかね?もしも彼が現われないと、世間はわれわれのこの会議は重要なものではなかったと言いふらすに違いない!」とジョークを飛ばし、またあるときには「会議には三つのものが必要だ。数人の外務大臣とテーブル、そしてザロモンである」とザロモンを賞賛した。

「あんなところにザロモン博士が隠れているぞ!」とフランスの外相アリスティード・ブリアンに指差される “見つけられた瞬間”と題された写真。

「あんなところにザロモン博士が隠れているぞ!」とフランスの外相アリスティード・ブリアンに指差される “見つけられた瞬間”と題された写真。

ナチスドイツによるユダヤ人迫害が厳しくなった1938年にオランダに移住したザロモンは、その後も国際舞台で活躍を続けるが、1941年のナチスドイツのオランダ侵攻により活動も制限されるようになり、翌年には隠れ家での生活を余儀なくされるようになる。1943年ガスメーター検針員に発見されて当局に通報されたザロモンは、隠遁生活に終止符を打たれてアウシュヴィッツに送られ、1944年7月7日強制収容所のガス室に消えてしまう。

ザロモンの人生は常に時代に翻弄されたものであったが、彼の残した写真はまさに時代の証人であり、フォトジャーナリズムの先駆者として現在でも尊敬を集めている。

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